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[Live Report] Joanna Wang |一夜を愛のスタンダードに捧ぐ──女ヴォーカルのささやきとこだま

2025.12.09

Music

Live Report

Joanna Wang

2025.12.07

夜の気配は、ゆっくりと閉じていくベルベットの幕のようにたちあらわれ、定刻になると照明は息を潜め、街の喧騒さえ扉の向こうへ追いやられてしまう。

ステージへと歩み出る彼女——指先まで覆う薄紗のグローブに、ブルーグリーンのスパンコールドレスを重ね、光を受けて微細に揺らめく。腕を流れるように伸びる紫のフェザー・ロンググローブは、まるで夢の触手までも携えてきたかのようだ。

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その瞬間、脳裏にふと《眠れる森の美女》の森をめぐる旋律がよぎり、まるで彼が観客の手をそっと取って、「むかしむかし」へと導いていくかのようだった。
今宵の主役は Joanna Wang 王若琳。ステージ全体には、一見すると意識させないほど自然に、しかし確かな一本の軸が流れている——それは「愛」を梱包材にも羅針盤にもした物語だ。愛は想像であり、邂逅であり、耽溺であり、そして惜別でもある。人が一生をかけて学び続けるテーマとして。

もし、すべてのライブにそれぞれ固有の“扉の開き方”があるとするならば、今夜のドアノブは Paul Simon の〈St. Judy’s Comet〉だったと言えるだろう。父親が子どもを優しく寝かしつけるために歌う子守歌。その声が放たれた途端、客席の空気には一面に催眠の粉が舞い、世界が薄い靄に包まれた。

続いて彼は、童話と迷宮の境界へと私たちを連れ出す。〈Alice in Wonderland〉は宛先を間違えたラブレターのように響く——本来は現実へ向けて書かれたはずなのに、なぜか夢の住処へと届いてしまったかのように。
彼が歌う「愛」は決して大仰ではなく、むしろ口元でそっとほどける独り言のようだ。

だが「愛」を身体性として響かせたのは、〈Like Someone in Love〉だった。本公演で最初のスタンダード曲であり、この歌はまるで鏡のように、恋をしている自分自身を映し出す——急に敏感になったり、唐突に笑いたくなったり。
彼の声はジャズのリズムの上をすり抜けるように遊び、まるでハイヒールを履きながらも羽のように軽く歩いているかのようだ。その軽さが、かえって胸の奥をくすぐる。誰かに灯りをともされた瞬間、歩くたびに全身が光を帯びる——そんな感覚を思い出させてくれるのだ。

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愛がいつまでも軽やかであるはずがない。
ステージの中盤、王若琳は空気をさらに深いところへと沈めていく。まるで照明のダイヤルをもう一段暗くひねるように。
そこにあるのは、もはやピンク色の泡に満ちた幻想ではなく、抜け出せない“渇望”に近いものだ。

〈Love Is A Sickness Full of Woes〉を、どこか戯れを含みながらも、避けられない諦念を滲ませて歌う。
彼女の声は“愛”をひとつの疾患として描き出す。
甘さは人を崩し、痛みは人を依存させる——そんな、抗いがたい毒性を帯びながら。

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私たちがまだその苦く甘い余韻の中で揺れていると、彼は映画『ティファニーで朝食を』のテーマ曲〈Moon River〉で、夜にそっと柔らかな道を敷いてみせた。
回転するステージライトは水面のように揺らめき、声もまた月光に洗われたように透明度を増していく。
本来この曲には映画が刻んだロマンティックなイメージがつきまとう。だが王若琳が歌い上げるのは、遠くを夢見るロマンスではなく、「並んで歩く」という伴走の温度だった。

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彼がもっとも印象的なのは、ステージ上での“状態の切り替え”の巧みさだ。
一秒前まで雲の上でひそやかにささやいていたかと思えば、次の瞬間にはリズムに小気味よい弧を描かせることができる。

期待がふくらみ、時に駆け出しそうになる感情へと踏み込むとき、
その期待も、羞じらいも、探るような揺らぎも、そして小さな勇気さえも、彼の身ぶり手ぶりのすべてに宿っていく。
そのとき、彼は「愛を歌っている」のではない。
「愛を生きている」のだ、と観客ははっきりと感じるのである。

その夜、もっとも目を奪われた瞬間は、もう一つのジャズ・スタンダード〈Orange Colored Sky〉によってもたらされた。
この曲が語るのは、愛がまるで天から降ってくる不意打ちのように襲いかかり、準備もないまま一瞬で撃ち抜かれるという体験。そしてその後に押し寄せるのは、全身が宙へ放り上げられたかのような狂喜——視界が光で満たされるほどの高揚だ。

ステージの灯りも、その「突然性」に呼応するように、ピンク、イエロー、オレンジの光を次々と押し出し、
まるで真夜中にソーダの泡が弾け飛ぶような景色をつくりあげた。
むしろ讃えているようにさえ感じられる——
愛が美しいのは、ときにまったく理不尽で、何の前触れもなく訪れるからこそ、その驚きが真実味を帯びるのだ、と。

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〈Nice Work If You Can Get It〉では、会場はまったく別種のクライマックスへ突入した。
メンバーが次々とソロを繰り出し、ステージはまるで遊園地のアトラクションのように開放されていく。
観客は座ったままにもかかわらず、誰もが無意識に身体を揺らしてしまう——これこそがジャズが持つ、抗いがたい魅力だ。

キーボーディスト、Andrew Page のフレーズは軽やかで敏捷、まるで光るビー玉を次々と投げ放つよう。
ギタリスト Benjamin Holt とベーシスト Sujong Park のコンビネーションは完璧で、昂揚と沈着のあいだを縫うように行き来し、ときに曲を押し出し、ときにしなやかに受け止め、楽曲全体に弾力のある床を敷く。

サックス奏者の蘇聖育は、音色も歌声もすべてをつなぐ魔術師のようだ。ひと吹きすれば旋律はより豊かな表情を帯び、前後のパートが自然に呼吸を合わせる。
そしてドラマー Chuck Payne は、奔放でありながら確固たるビートを刻み、まるでバンド全体の心臓を掌に収めているかのよう。
その一打ひと打が、聴き手の首をさらにうなずかせずにはいられなくさせる。

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エンディングで、誰もがよく知る〈What a Wonderful World〉へと歩み寄ると、今夜のテーマは実にロマンティックな形で回収された。
この曲は本来、Louis Armstrong が体現したあの雄大で力強く、両腕を大きく広げるようなスケールを持つ。だが王若琳の歌は、より祈りに近く、どこか語り部の気配を帯びていた。
大きな波で感動を押しつけるのではなく、柔らかな語り口で、今夜私たちが歩いてきた感情の道のりをそっと照らしなおす。

愛がもたらす喜び、怒り、哀しみ、そして楽しさ——そこに生まれる葛藤や痛み、甘さ、そして優しさ。
ふとすれば影となり心を曇らせるはずのものが、彼の情緒の中では、むしろ「美しさ」を形づくる一部になっていくのだ。

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「今夜は、愛を“完璧”に歌ったのではなく、愛を“まるごと”歌いきったのだ。」

十二月の訪れは、否応なく季節限定のきらめきを添える。
まるで物語のエンディングで、皆にそっとあたたかな毛布をかけるように。
彼女が鈴を手に〈Christmas Time Is Here〉や〈Santa Claus Is Comin' to Town〉を歌い始めると、空気にはたちまち、松の香りやホットココアの温もりが立ちのぼった。
それは愛の表現というより、むしろ会場全体へ向けた“祝福”のようだった。

会場を出るころには、スパンコールのきらめきがまだ脳裏に残り、
まるで小さな彗星の尾を引くように、映画のラストに書き込まれる “The Fin.” の筆致が現実へと引き戻していく。
それでも胸の奥には、なお「Once upon a dream」の余韻がそっと反響していた。

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記事の作者

🌹

Ting