

2025年に発表された最新作『ZATTO』は、2019年にロンドンへ拠点を移した小袋成彬が、5年の歳月をかけて現地のミュージシャンたちと研鑽を積み、昇華させた作品だ。日本語の歌詞が携える哀愁と内省的な響きは、ジャズ、レゲエ、ダブ、そしてラテンのリズムの中へと自然に溶け込み、流動的でありながらも揺るぎない音楽の質感を形作っている。今回の Billboard Live TAIPEI 公演は、まさにそうした背景の中で幕を開けた。派手な演出に頼るのではなく、緻密なレイヤーで感情を積み重ね、至近距離の空間において「音が一つずつ確かな足取りで立っていく」プロセスを観客に提示した。

バンドが登場すると、小袋成彬は泰然自若とした佇まいで現れた。その落ち着き払った態度は、現場で起こるあらゆる変化を受け入れる準備ができているかのようだった。奔流のようなドラムが幕開けを告げ、タイトル曲「ZATTO」が瞬時にライブ全体の基調を決定づける。小袋が発する、厚みがあり包容力に満ちた歌声。その第一声が放たれた瞬間、観客の意識は一気に引き込まれた。続いて重なり合うギターとベースのラインが、ステージ上に音楽の自然なうねりを作り出していく。

「ZATTO」の間奏では、今回のバンドメンバーが一人ずつ紹介された。小林修己(Ba.)、磯貝一樹(Gt.)、片倉真由子(Pf.)、守真人(Dr.)。互いの呼吸を熟知した円熟の編成だ。今年1月のブルーノート東京公演で見られたホーンセクションこそ不在だったが、片倉真由子と磯貝一樹が紡ぎ出す旋律の線は、全体のサウンドを豊かに支え、音色の欠落を感じさせるどころか、この夜のハイライトとも言える輝きを放っていた。

続いて演奏されたサルサ調の「Kagero」では、しなやかなリズムの中で軽やかかつ内斂(ないれん)なグルーヴを披露し、小袋の歌唱にはどこか洒脱な風情が漂う。「Tangerine」ではベースを核とした濃厚かつ主張しすぎないグルーヴが展開され、観客は自然とシートで体を揺らしていた。地声とファルセットを自在に行き来する彼の歌声は、妖艶でありながら決して誇張されることはなく、常に精密な感情コントロールが保たれていた。

中盤には驚きのカバー曲「They Say It’s Wonderful」が披露された。ロマンチックなスローバラードが、それまでの高揚感を一時的に切り離し、会場を静謐な空気で満たす。片倉による美しいピアノの旋律と、小袋の深く情熱的なボーカル。ジャズ・スタンダードをあえて技巧に走らず歌い上げるその姿には、噛み締めるほどに味わい深い奥行きがあった。


後半のMCで、小袋は軽妙かつ誠実な語り口を見せた。初の台湾公演であることに触れ、滞在中に総勢8人で台湾の紹興酒を楽しんだエピソードを披露。「かなり酔ったけれど、頭は冴えていて、むしろエネルギーが湧いてきた」と冗談を交えながら語った。また、少しシャイな観客に対し、ソロパートではもっと大きな拍手やレスポンスを、とフランクに呼びかけるなど、ステージと客席の距離をぐっと縮めていく。

ステージ全体を見渡すと、奏者たちの高い密接度がはっきりと見て取れた。Billboard Live TAIPEI の控えめで洗練されたライティングは、一曲一曲に十分な「呼吸感」を与えていた。特に片倉真由子のピアノは多くの楽曲で鍵となる役割を果たしており、「Sayonara」での軽妙なタッチと華麗なソロは、自由闊達で余裕に満ちていた。異なるジャンルの間を音楽が流転しても、常に一貫した推進力を維持していたのは彼女の功績も大きい。

終盤に向けて、新アルバムの中でも珍しいレゲエ調の「花盛り(Hanazakari)」が登場。ドラマー守真人は、軽快さと落ち着きの絶妙なバランスを保ち、弾力のあるビートで会場の緊張を解きほぐしていく。磯貝一樹のギターもこの曲ではより濃厚で魅力的な音色に変化し、全体の響きにさらなる厚みを加えていた。

約1時間を超えるステージは、急ぐことなく、しかし着実にフィナーレへと向かった。最後を飾ったのは「Shiranami」。小袋成彬の音楽が持つ「揺らぎの中で、確かに立つ」という気質、そして多様で混在した響きを包み込む豊かさが、改めて提示された。明かりがゆっくりと灯り、拍手は鳴り止まない。小袋の瞳に宿る自信を目の当たりにしながら、彼がかつて別のステージで放った「人生は一回きり。自分の好きなことをやろう」という言葉を思い出した。今、このステージに立つ彼は、間違いなくその道を歩んでいることを証明していた。新作を携えて、再び彼が台湾の地を踏む日が来るのが待ち遠しくてならない。

記事の作者
音樂亂聽家。現為線上唱片行『通風屋』屋主,主要販售日本獨立音樂、爵士、環境音樂等。
